どうもちぐです。
3月9日火曜日、中学か高校に登校していた頃のような早い時間に家を出て、
遠足の日のようにわくわくした気持ちを胸に、エヴァの映画を見てきました。
以下、ネタバレになりますので未見の方はご注意ください!!
目次
シン・エヴァンゲリオン…
一言で言うと、
万感の、終幕でした…。
自分の子供時代、青春時代と大きく重なっていたエヴァ。
これまでを思い返さずには全てを消化し切れないので、
色々と振り返りつつ、感想を書き記したいと思います。
これまで約25年、エヴァの物語に漠然とした憧れを持って生きてきましたが、
ついに、ついに終わってしまったんだなという寂しさと
この物語に終幕があってよかったという喜びと
両方を以って物語を見届けることができました。
アニメって、創作物って、人が前を向いて現実を生きていくための力になってくれる。
90年代に感じていたその気持ちを、また新たに胸に感じさせてくれる作品でした。
エヴァと私のこれまで
エヴァと私の出会いは小学生の頃で、放送当時、父がビデオに(ビデオに…!)録画していたのを見たのが始まりでした。
(こっそりではない、普通に家族で見ていたのです!)
カッコ良くてテンポの良いOP、荒廃していながらも敵に立ち向かうため新しくなった世界、そして何より、不安定な世界にいながらも、暖かく激しく愛憎を交錯させる魅力的なキャラクターたち。
ストーリーは難解なようでシンプルで、小学校低学年だった自分にも、「世界を救うために、主人公の力が必要だ。でもエヴァに乗って使徒と戦うのは相当危ないし怖い。あんまり会ったこともない冷たいお父さんにやれと言われたって従うのは嫌だ」というのはすんなり理解でき、あっという間に世界の中に引き込まれて行きました。
レイやアスカにドギマギしたり、ミサトさんの愛情を感じたりしながら、エヴァに乗って成長していくシンジくんを見るのはとても楽しくて、
まだ青春も知らない子どもだった私は、「14歳って甘酸っぱくて素敵で、こんなことは起こらないだろうけど、早く私も成長したい…!」と、強い憧れの目で見ていました。
そんな中迎えたアニメの最終話は、不満には思わなかったけれど、ただ概念だけで終わらされてしまい、子供心にはなんとなく「ホントにこれで終わりなの? そんなわけないよね。ホントの終わりがあるはずだよね」とその先への期待だけがとり残されました。
しかし、いざ旧劇場版が公開されると、「怖い・グロい・結局意味が分からない」という兄の話から見るのを遠慮して、その後すっかり子どもの年齢を終えて、大学生になってから再び始まった新劇場版を見るに至ったわけでした。
序を見て「あぁ、またエヴァが始まった…!」と喜び、
破を見て「アスカが惣流じゃないのはなぜ…そして往年のテンプレの繰り返しが多すぎて、アニメであんなに生き生きしていたキャラが記号みたいになっている。。。」と悲しみ
Qの頃には社会人になって、忙しくていつ放映されたかも知らないうちに何年も経っていました。(その間に旧劇場版を見たような気がする)
Qを見たのは1〜2年前だったのですが、
みなさん仰るとおり、報連相がちゃんとしてればこんなことにならないのに…!という出来事が連発しすぎて、なんだかあまりに物語が作為的に見えてしまい
さらに、お話が新しい方向に行っていることを認めたくない自分は、カオル君との交流のシーンもなんだかうまく納得できず、感情が揺れる姿が好きだったアスカやミサトさんの冷たい変化もただ悲しく…。
そして「序破急で終わるんじゃなかったの?? これいつまで続くの??」と物語が終わらないことに不満すら感じました。
そして「シン」の公開。
正直、あまり期待していませんでした。
ここまで見てきたエヴァの物語、オタクとして履修しないわけにはいかない…という(どうでもいい)使命感だけがあり、
初日に行かなくてもいい、ツイッターでわざわざネタバレ避けするまでもない。
そのうちに観にいこう、とゆるく考えていました。
でも初日が終わって、何人かがネタバレのない感想をツイートされていて。
「よかった」「ついに物語が終わった」「決着がついた」
そして
「アニメ、旧劇、新劇全部見てから行ったほうがいい。」
それを見てから、「ついに、あの愛しかったアニメの世界が終わりを迎えられるのかもしれない」と、いても立ってもいられなくなって
次の日の朝に見にいくことに決めたのでした。
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を見て
シン・エヴァンゲリオンは、シンジくんが愛を感じて、受け取って、
自分からその愛を手放したり、そして最後には返したりできるようになるまでの物語であったように思います。
シンジくんに愛を与えたのは、
「第三村」に暮らし、「ニアサーも悪いことばかりじゃなかった」と言いシンジを受け入れる元同級生たち、
「好きだから」と告げて消えるアヤナミレイ、
「昔好きだったんだと思う」と言うアスカ、
14年間ずっとシンジを守り続けていたレイ、
結局はシンジに期待してくれるミサトさん、
エヴァの中に居た母であるユイ、
「必ず迎えに行く」と断言するマリ…。
以前のシンジだったら、「好きだって言ってくれたのに」とか、「だったら何かして返さなきゃ」「守り抜かなきゃ」とか、愛に責任や義務を感じてまた空回りしそうなものですが
今回は、その愛情を一身に受け、暖かさを信頼して、「人に助けられてもいい」と言うことを認められるようになるとともに、
自分が選択することによって、その愛を手放すことができるようになったように見えました。
例えば、
「ここで生きていこう」と言ってくれた仲間のいる「第三村」を後にしてヴィレに向かったり
二人のレイとの別れは悲嘆ではなく前向きになることで乗り越えたり
アスカに「僕も好きだった」と言って、彼にとってはそう遠くもないであろう恋心を過去のものにしたり
自らを犠牲にするミサトやユイを止めることもなく、その役割に感謝して受け入れたり…
その愛に全身全霊で応えなくても、応えることができなかった過去があっても、
「愛された」ことには変わりがなく、
その愛を返し切ることができない選択をする権利がある。
そして最後は、よく知らない、未だ関係も成り立っていない
「必ず迎えに行く」と約束してくれた未知なる少女との不確定な未来を選ぶ。
美しい終幕でした。
「まごころを、君に」が放送された当時に、この結末になっていたら…と言うのは
ありえない仮定なのだけれど
もしそうだったら、自分はこの結末を受け入れられたかな? と少し疑問に思います
なんやかんやでシンジめちゃ愛されてるやん…都合ええやんけ…
緒方さんボイスであってこそシンジくんなのに、最後なんで声変えるんや…
どうしてこんなぽっと出のよく分からん女とくっつくんや……!
などなど、子どもの私だったら色々と不満に思ったのではないか…と。。。
でも、そんな子ども時代から25年も経って
自分自身も、友人や恋人と出会い別れたり、親との関係性にも変化があったり、結婚したりした今となっては
未来に進むって、そう言うことだよな…! と、ものすごく、実感として納得できるラストでした。
最後のシーンを見てから、エンドロールが流れている間は、
シンジくんが、ついに終わらない、呪われた子ども時代を脱して大人になれたことが嬉しくて、今まで創作物を見て流したのとは違う種類の涙がはらはらと流れて止まりませんでした
他人を救うために、自分の肉体や存在を犠牲にするのではなく、
世界を塗り替えたりやり直しをして、過去の過ちを消すわけでもなく(多分)、
それまでの恋心や憧れとは別れ、叶えることなく超えて行って、
その先に出会った相手に好意を返し、自分の意思で手を引く。
あの幼く甘美な少年の声は、二度と戻ってこない。
でも、それが大人になる、不可逆の先へ進むと言うこと。
子どもの頃に触れた作品って、やっぱり「憧れ」を感じるところが大きくて
無意識に、「こんな風になりたい」って、主人公と自分を同化させたりしてしまいがちだと思います。
それだからなのか、エヴァが終わらない限り、自分も
「私なんて」と言って人の好意をはねつける子どもでいていい
むしろ、いつまでもそんな風でいるのが美しいような気がしていたと思うんですよね。
でも、あの憧れた少年が人の目をまっすぐ見て、自ら手をとって走って行ったのだから
私ももう大人になったことを認めて、自信を持って進んでいいはず。
子どもの頃に憧れた暗い美しさを、先へ続く明るい道として、自分の中に捉え直すことができた。
そして、それの選択肢は大人になる間に自分が身につけていたものなんだと感じられた。
そうやって、物語と長い時間を過ごしたからこそ、自分の成長もシンクロして感じられ
これ以上ない鑑賞体験になりました
ありがとう、エヴァ。
おめでとう、シンジくん。(涙)
蛇足ですが、個人的には
大人になったトウジやケンスケが暮らす「第3村」のシーンが大好きでした。
昔、アニメ版に感じていた「不安定な世界でも存在する暖かさ」が戻ってきて
あぁ、これが私の好きだったエヴァだ…! ととても嬉しくなりました。
イヤホンでカセットを聞いたり、みんなで温泉入ったり、
ミサトさんの酒乱に付き合わされたり、狭いところに女の子と二人きりでドキドキしたり。
そんな人間的でささやかな喜びが魅力的に描かれているのが、私にとってはエヴァの一番の魅力だったのですが、
映画では、複雑な世界観や対戦を描くためにそう言う触れ合いのシーンが少なくなっちゃったのかな…と思っていたので、最後に大満足させてもらいました。
良い作品だった!!!!良い結末をありがとう!!エヴァ!!!!!